20140131

社会と情報 14: 大統領府で何が起きていたのか? 2

 枯れ葉剤投下

< 枯れ葉剤投下 >

前日に続いて

空爆優先は、味方の消耗を減らし如何に敵を多く殺すと言う戦争の論理に叶っている。

だから、世界の批判を避ける為にトンキン湾事件を捏造してでも北爆をやることになった。
しかし北ベトナムとカンボジア、ラオスへの絨毯爆撃、ジャングルへの枯れ葉剤散布、無差別砲撃がインドシナに与えた損害は甚大だった。
これらは敵兵に打撃も与えたが、それ以上にベトナム国民と国際世論を敵に回すことになった。
これらが当時の難民150万以上、行方不明と死者800万、さらに40年後の今も枯れ葉剤による障害児70万がいる。
当時、米国はベトナム人の被害を調査することもなかったし公表することもなかった。
当時エルズバークは、米国の作戦による南ベトナム国民の被害や意識調査を進言したが無視された。


難民

難民

< 難民 >

軍部が主張する大兵力投入を最初から実施すれば良かったのだろうか。

軍部は、フランスに勝った北ベトナム軍を甘くは見ていなかった。
しかし終盤には、不可能な地上兵力百万を投じても勝てないと悟るようになっていた。
これは、予想よりも遙かに多くのベトナム兵を殺さないと、降参しないことを意味する。
当時の米国の将軍達はこの常識を越える独立への執念に、ついに思い至ることはなかった。
結局、軍部も誰も、ベトナムの歴史や民族を知らず、最後まで力で押さえることを信じて疑わなかった。
この他国への無理解については別に考察します。

キッシンジャーがベトナム戦争の打開策をエルズバーグ博士に諮問した時、彼の答えに勝利の方程式が無かった。
不謹慎だといぶかるキッシンジャーに、博士は「勝てるシナリオが見つかりません。原爆使用は論外なので・・・・」
博士には、吹っ切れるものがあった。

民間出身で、三代の大統領の下でベトナム戦争の采配を振ったマクナマラ国防長官は、ニクソン政権下の途中で辞めることになる。
それは、増派・増強、核爆弾の要求をエスカレートさせる軍部に懐疑的になり、一転して段階的縮小を大統領に提案したことによる。
結局、最後の大統領は、核爆弾以外の強硬策を採用し、一方で和平交渉を行った。


原爆投下 

< 原爆投下 >

問題は何か
暴走し逸脱していく戦争を、その時に如何に正せるかが重要です。
後になって、国のトップを戦争犯罪で告発しても、後の祭りです。

当時、大統領府は、都合の悪いことや下心を隠し、国民に対して希望を捏造し、良い印象を与え、時には戦意を鼓舞することもあった。
国民は大統領府の不穏な動き、戦地ベトナムの真実をかなり遅れて知ることになった。
64年のトンキン湾事件の捏造は、エルズバーグの機密文書暴露で、71年にやっと知ることが出来た。
当時、ホワイトハウス、国務省、国防総省、ランド研究所に総勢7万近いスタッフがおり、ベトナム戦争の真実を知る人は多くいたはずだが、その一部でも公開し、国民に訴える人は数人だった。

多大な影響を与える国の舵取りの情報が、防衛・外交機密を盾に、国民には届かなくなっているのです。

次回、当時の報道機関がどのような役割をしていたのかを見ます。
そこからは驚きと失望と、少し勇気がもらえるでしょう。












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